『白蟻』の紙型流用ということで、『夢殿殺人事件』ができています。
もちろん、中の挿絵もそのまま使われています。
目次も、少し拡大して使用されていますので、「後光殺人事件」が目次にも、テキストにもありません。
末永さんが、紙型流用『夢殿殺人事件』で見られたのは、『白蟻』の目次をそのまま使用した場合が考えられますので(1ページ分にそれらが印刷されています)、「後光殺人事件」が目次にありながら、273ページ以後がない『夢殿殺人事件』バージョンがあることになりますね。
彩古さん、風狂さんの所有されている『紅殻駱駝の秘密』二十版。十六版の奥付けと日付けがことなりますので、このあたりの真実はなやませます。
末永さん、『妖奇』を読み始めたばかりです。読み始めますと、痛みはひどくなりますので、これはつらいものです。編集長 本多さんについては、都筑さんが述べられていますので、これは参考になります。
ここに書きました、
『雑音横丁ーユーモア中篇小説集』再版、学進書房、昭和22年、城戸礼(ママ)
が来週入手できることになりました。めずらしく、電話で連絡がありました。
すみませんでした。オーナー様、お手数をおかけしました。
今日は結構カウンターが上がってますね。
彩古様。
『漫談レヴイウ』の件、『渡辺啓助100』ではフォローしてますよ。
たしかに意表をついてますが、時期的には当然ですね。
森様。
山岡荘八っていう人も面白い人で、宮本幹也との関係もなかなか面白いです。幹也さんは「師であり、親友であり、ライバルである」と書いてます。
大衆文学の団体というと新鷹会とか要会とかが有名ですが、その他の「若手グループ」はかなりあったようですね。城戸さんや南沢十七さんなんかが入っていた「木曜会」とか。荻原さんもそういう関係だったと考えられます。厳密な師弟関係というより、仲良しグループの先輩後輩という関係だったような感じなのですが、確認してみたいところです。
荻原さんは現在体調を壊されているとのことですが、執筆は続けておられるそうです。一度お目にかかりたいと思っていますが、ここしばらく本業が忙しくて、動けない状態です。
荻原さん、丹念に探すと昭和20年代前半の小型雑誌に結構たくさん防犯記事を書いてますよ(前にもここで書きましたが、目次に載っていないコラムが多いです)。その頃はもう文筆一本になってたんですね。私はアルバイトでやってると思っていました。佐川桓彦みたいに二足のわらじで。
話題の『空手のお姐ちゃん』ですが、あれはあの本でしか読めないもので、文庫化などはありません。あの「明朗熱血シリーズ」には、他で読めないものが多いです。大人向けなんだか子ども向けなんだかはっきりしない中途半端なところが致命的だったのかと。今なら「ヤングアダルト」ですむんでしょうが。
で、『空手のお姐ちゃん』、強いて言うと『拳豪三四郎』のジュブナイル版っていうところです。かなりストーリーは違いますが。
なお、この本、表紙や背のタイトルが『空手のお妲ちゃん』と誤植されているハズカシ本であることも申し添えておきます。
桜様。
『妖奇』の改題はひどいですね。あれは本多さんのセンスなのでしょうか。
僕の持っている『紅殻駱駝の秘密』は何版なのかと思って、探してみたら、うちのも
風狂さんのと同じ二十版でした。
確かに駱駝の駝が駄になっている。
『ネメクモア』の書誌を見ていて、どこにも載っていなかったので、備忘録がわりに
書いておきたいことがひとつ。
岡田時彦の代作として書かれた「偽眼のマドンナ」ですが、この作品、実はその発表年に
単行本に収録されています。
現代ユウモア全集18巻、続編12巻の第11回配本『漫談レヴィウ』は徳川夢声、
岡田時彦、古川緑波の3人の共著になっていて、岡田時彦パートのトップで収録されて
いるわけです。
この本は徳川夢声、古川緑波が目的で探していた本でしたが、思わぬところでびっくり
した覚えが。
発行日は昭和4年11月30日となっています。
現代ユウモア全集は続編12巻がなかなか出てこず、しかも終わり間際の配本なので、
流通部数は少なそうです。
手に入れるのに5年以上かかりました。
森 英俊さん、ワセダミステリクラブOB会の HP の、更新された「戦前本」を拝見しました。そこには、『白蟻』3版、1942年(昭和17年)が掲載されていました。
翌年には、3版が出たのですね、しかも、カバ付き、でしょうか、再版のものと異なるようです。
熊谷書房刊、熊谷晃一発行人
と記載されているかどうか、知りたくなります。
再版と同様に、「後光殺人事件」も掲載されているのでしょうか。
ますます、奥が深くなります。よろしくおねがいします。
荻原秀夫さんのもの、私も、残念組のひとりでした。
先日、抽選漏れをした荻原秀夫の『名刑事ノート 化粧の秘密』を店頭で
見つけました。元警視庁の名捜査課長の語った話を著者がまとめたものな
のですが、巻末に荻原秀夫の略歴が記されていて、それがなかなか興味深
いです。
いまの警察学校を卒業し、警視庁につとめるかたわら、純文学系の同人
雑誌『つはぶき』を刊行。終戦後は警視庁刑事部勤務となり、新設の刑事
情報の主任を命ぜられ、情報活動に従事。昭和22年に退職し、それ以降
は文筆活動に入る。警察をテーマとする小説や時代小説などを発表。それ
から、山岡荘八と宮本幹也に師事していた、ともありました。
とても刺激的な展開なので、この先どうなるのでしょうか。
こしぬまさんが配本の方から、教養文庫『紅毛傾城』を検討されて、正解がでたようですね。
これには気つきませんでした。一度並べてみる必要があります。
これについては、いわいさんが記された、1978C の意味が理解できます、奥付けでは、昭和52年初版第1刷、とされていますが、印刷時は1978年であったことを表しています。
小林さんが書かれた『悪魔の指』昭和24年11月、渡辺啓助、貸し本あがりながら、これは是非入手したかったです。
末永さんが指摘された小栗虫太郎さんの「妖奇」掲載作のこと。編集長の本多さんが、誌上で、原本をさがしていたので、そこから、再録されたように思われます。しかし、小栗さんの息子さんが関与されていれば、また別の展開になります。
話題が整理しきれないぐらいの様相です。
ここで、駄目を押して。教養文庫『紅毛傾城』の初版第1刷の奥付「昭和52年」は誤記です。「昭和53年8月30日」1978年が正解です。この第5回配本の前の第4回配本の「潜航艇『鷹の城』」が昭和52年12月15日 1977年の発行ですから。
手元にあるもう一冊の初版第3刷には
「1978年8月30日初版第1刷発行」
「1994年8月30日初版第3刷発行」
となっています。訂正されています。訂正されていないのは、カバー折り返しの『紅毛傾城』です。第3刷でも『紅毛傾成』と「成」のままです。
こういう誤記はけっこうあるようで、最近では創元推理文庫の多岐川恭『変人島風物誌』の解説。485頁の『虹に消える』は『虹が消える』が正しい。
虫太郎の「紅殻駱駝の秘密」ですが、昭和15年9月5日印刷、昭和15年9月10日発行、昭和16年11月15日二十版もあります。
表紙と背と帯紙は「駄」で、本文奥付扉は「駝」です。
春陽堂文庫122、定価70銭。
akawasさんも登場されて、芦辺さんによる記事、「sumus」での事など、わからないことがわかりました。
akawasさんが下に種明かしされたからです。ありがとうございます。
小栗虫太郎『白蟻』と『夢殿殺人事件』について、末永さん、喜国さんがかかれていたので、以下の事を確認しました。
・『白蟻』昭和10年10月18日発行
昭和16年7月5日再版発行 松野一夫装
熊谷晃一 神戸市・・・坂口通七丁目五〇ノ一(熊谷書房)
「白蟻」「完全犯罪」「夢殿殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」
「後光殺人事件」
・『夢殿殺人事件』昭和20年2月20日発行
昭和21年4月10日再版
熊谷市郎 神戸市・・・吾妻通り三ノ一七(熊谷書房)
「白蟻」「完全犯罪」「夢殿殺人事件」「聖アレキセイ寺院の惨劇」
後者は、前者の「紙型流用」である(同じ活字の使用でした、ページ数も同じ)
一部、おもて表紙の肖像がさしかえられている(赤の背景に、黒のナナメ格子)
後者では、「後光殺人事件」が、ページ273以後削除されている
前者の「序」が削除されています
その他、城戸さんのこと、乱歩邸への出入り禁止など、刺激的な話題には、とても興味があります。
小林文庫オーナーさま
akawasです。
芦辺拓さんが『『ぷろふいる』傑作選』の解説で、わたしのことを「ある探偵小説愛好家」と書かれたものですから、雑誌‘sumus’の扉野氏も、オーナーまでもそのように呼ばれますが、自分のことかなあ、と不思議に思います。
不思議といえば、オーナーのいわれる「偶然」、たしかに、初めて「大阪圭吉の掲示板」に投稿して以来の偶然のつらなりには、なにかただならないものがあります。掲示板への書き込みと、光文社文庫の『ぷろふいる』傑作選の企画の時期の符合がその最たるもので、芦辺さんが情報をもとめておられたのとまったく同じタイミングで、たまたまテープの存在が、18年間の空白のあと初めて明かにされたわけです。
今回の、‘sumus’のことでも、私がまったく別の件で(「偶然」にも、鴻巣歌吉の名を発見したことで)おもしろがって、この雑誌のことを「白梅軒」に紹介したやさきに、阪神間の尼崎で古書店を経営している古くからの友人が突然電話してきて、「‘sumus’て雑誌知ってる?」というのです。「知ってるどころか、それで最近大騒ぎしてんねやんか、‘sumus’がどないした?」と聞くと、誰かがわたしを探しているらしい。
偶然も偶然、この友人は、わたしが熊谷氏と知り合ったその後、もう一度店をたずねたときに同行した人物でした。がやがやと店で騒がしいわれわれに、熊谷氏が「ご同業だっか?」と怪しむような目で見られたので、あわてて「そんな滅相もない」と否定したのを憶えています。当時友人は神戸の古本屋で働いていたから、同業には違いなかったわけですが。ちなみにこの友人、私の見るところでは、日本でいちばんよくミステリを読んでいる古本屋の親父です。ミステリの専門の店は多々あっても、盛業では本を読む暇がないはず。彼は目録をつくらず、ネットに手を出さず、しかも店には客がこないのですから。
もう二昔も前、私もこの友人も、京都であるミステリのファン・クラブに所属していました。じつはそのころ、年長のわれわれを相手に一歩もひかず論戦をいどんでいたのが、当時高校生であった芦辺拓さんだったのです。だから私は芦辺さんとは旧知で、それと知らず芦辺さんが私の書き込みを見てメールで連絡してこられたので、「芦辺さん、ぼくやねん」と正体を明かしたわけです。(このあたり‘sumus’の記事はまちがっています。)このことはオーナーに以前私信でおつたえしたので、下に「ほかにも書きたい偶然」とあるのはそのことではないでしょうか。
ところで、インタビューにさいして、わたしはもうひとり別の友人に援軍を依頼しました。ですからテープにわたしと彼の声が入っています。この人物も同じミステリのサークルの仲間で、かつて私とは京都北白川の下宿の同じ2階に同居していました。(ちなみに当時の下宿の所在地、北白川西瀬の内町は、かつて九鬼紫郎が『ぷろふいる』編集町時代に住んだ北白川平井町とは、疎水をはさんですぐ隣、わずか数十メートルの距離でした。)その友人Yから、昨夜まったく別の件で電話をもらって、用談後にかれが告げたことばの暗合に、わたしはほとほと感に堪えました。Yは現在、国書刊行会から全8巻で刊行予定の「日影丈吉全集」の編集をしているというのです。同じく書誌的な面からその編集にあたられるのが、この掲示板でも同じみの日下三蔵さんだというのですから、オーナーさま、驚きませんか。
追伸 ‘sumus’の記事は、誤って「小説」総目次を私が作成したかのような書きかたをしています。著者がなにか錯覚されたのだと思いますが、小林文庫オーナーには申し訳ないことをしました。
二重投稿です。すみません、手が滑ったみたいです。
削除願います。もちろんこの書き込みもいっしょに。
お願いします。
なかなか奥が深いですね。
高志書房の『魔童子』の装丁は山田清三郎の著書のまるっきりのパクリでして、後にも先にもあれだけあからさまなパクりはないです。おんなじだから。あんまり驚いたので『歴史民俗学』って雑誌のコラムに書いたりしました。それにしても、プロ文の理論書が探偵小説本にバケるなんて……
桃源社は桃源社でポプラ社並(どういう喩えだ)に異装版が多いし、おまけに表示がない。常にオリジナル初版(笑)。
オーナー様。
やっぱりそうでしたか。ヤマカンもたまに(笑)。
いくら故人とは言え、あれだけあからさまな改変はちょっと普通の人ではできませんよね。私は本文を付け合わせてみて、妄想を逞しくしていました。
「sumus」に期待します。
『妖奇』掲載作はチェックしてないのですが、どうなんでしょうね。
あ、何だかんだ言いながら、私は小栗ファンですね。あまり意識していなかったのですが。
小林文庫です。
よしだまさし さん
わざわざ教えていただいて、ありがとうございます。
よしださんが最期の1冊を買って、その1冊前を土田さんが購入した事は、知っていますよ。
その後、お二人で古本屋に行ったことも。(笑)
猟奇の鉄人掲示板の彩古さんの書き込みによると、その後またサイン本が増えていたみたいですね。
誰かが、毎日渡辺啓助さんにサインをさせている図が思い浮かんでしまいました。
渡辺啓助さんがお元気な証拠で、慶賀です。
末永昭二 さん
> 高志書房版の虫太郎作品の改稿は、ご長男の手によるものではないかと・・・
実は、熊谷さんはインタビューの中でその辺りの事にも触れています。(触れていた様な記憶があります)
この辺りの内容は、公開される場合も割愛される可能性が有るかなと思い、下の投稿では触れませんでした。
(と言う事で、内容についてはご推察下さい)
熊谷さんのインタビューは、全文を公開する、と言う情報をいただきました。
私は以前聴いた時の記憶で書いているので不正確な事を書きかねないのと、テープを借りて聴いただけの立場であるので、内容に踏み込んだ紹介は、この程度で終わらせたいと思います。
「sumus」での全文公開を待ってください。
(本当に興味深い内容ですよ)
オーナー様
昨日、「渡辺啓助100歳記念展」に行ってきました。サイン入り『ネメクモア』、僕の買ったのが最後の1冊と言われたのですが、第二会場の方にまだ数冊ありました。ただし、あれもいつまで残っているやら。国書刊行会の『聖悪魔』のサイン入りならまだたくさんあったようですけど。
近所にある店のパソコンを利用しようとしたら文字化けでお手上げでした。そこの有名大学出の店員に『紅毛傾城』を見せたのですが、やはり、「傾城」の意味は知りませんでした。しかし、凄い書き込みですねー。流石!
『ネメクモア』署名本、友達が買ってくれました。
先月の岩波書店の出版に内田隆三『探偵小説の社会学』というのがありますね。誰も話題になさっていない。上京したとき購入するつもりです。内容説明には「言説としての探偵小説がはらむ近代性の秘密とは。」本棚には彼の『消費社会と権力』1987年岩波書店があるので。
喜国さんが述べられた
>桃源社カバー装「黒死館」・・・44年12月20日発行 50年7月5日4刷
昭和46年4月10日発行 帯付き、刷りの表示なし
昭和49年4月5日発行 帯付き、刷りの表示なし
の二冊所有しています。
>教養文庫「紅毛傾城」の初版奥付は昭和52年8月30日
これも、初版第1刷が昭和52年8月30日でした。
ここでは、すでに、かいていますが、島崎さんの書誌では
「金字塔四角に飛ぶ」改造9 昭和12年
ですが、 中央公論 9月号 昭和12年
となります。
末永さんが言われた高志書房の「黒死館殺人事件」には、手元のを確認しますと、9冊の異装本がありました。
1 「黒死館殺人事件」正 (高志書房) 昭和22年6月15日発行
カバなし 帯(上下赤線)
2 「黒死館殺人事件」正 (高志書房) 昭和22年6月15日発行
カバなし 帯(無地)
3 「黒死館殺人事件」正 (高志書房) 昭和22年6月15日発行
カバなし 帯なし 価格訂正(貼紙)
4 「黒死館殺人事件」正 (高志書房) 昭和22年11月15日発行
カバなし 帯なし
5 「黒死館殺人事件」正 (高志書房) 昭和22年11月15日発行
カバ付き 帯なし
6 「黒死館殺人事件」続 (高志書房) 昭和23年1月25日発行
カバなし 帯なし
7 「黒死館殺人事件」続 (高志書房) 昭和23年1月25日発行
カバ付き 帯なし
8 「黒死館殺人事件」正 (福屋出版部)昭和24年11月15日発行
カバなし 帯なし
ただし、奥付けのみ、福屋出版部、です
9 「黒死館殺人事件」続 (福屋出版部) 昭和24年11月15日発行
カバなし 帯なし
ただし、奥付けのみ、福屋出版部、です
仙花紙本、何がでてくるか、手にとるまでわかりません。
聞いていただきたいのですが、小栗さんのご長男が高志書房の社員であったということから、高志書房版の虫太郎作品の改稿は、ご長男の手によるものではないかと私は睨んでいます。妄想入っているかもしれませんが。
それで質問なのですが、ご長男が乱歩邸出入禁止になったいきさつは何だったのでしょうか? ご存知の方はいらっしゃいますか。
前にも書きましたが、ご長男は九鬼さんの『地獄の影』のモデルになるような人でして、ちょっと気になります。
金鈴社と九鬼さんの関係も、以前書きましたが、博文館と虫太郎の伝手ではないかと思われます。
このあたり、まとめてみたいとかねがね思っているのですが、一次資料があんまり揃ってないので、ちょっと自信ないです。
『紅殻駱駝の秘密』とそのネタ本である『日本聖人鮮血遺書』の関係は、ある程度つかめました。どうやら、虫太郎さんの「ハッタリ」に幻惑されていたのかもしれません。
喜国様。
私の『夢殿』は、たりなかったのはたしか「後光」だったと思うのですが、記憶に自信がないです。ともかく、目次の最後に載っていた作品が、実際には無かったです。あの頃の仙花紙本にはよくあることですが。
オーナー様。
サイン入り『ネメクモア』は運次第ですね。幸運を祈ります。
桜さんにご紹介いただいた「sumus」は、私も拝読しました。
「K.I.M.M. ―熊谷市郎氏の探偵小説―」(扉野良人)は、探偵小説史に興味がある方は必読の文献ですね。
初めて明かにされた事や、今までの定説が覆された事が多々あります。
文中で、熊谷さんのご令嬢のお言葉として「(思いがけないところで繋がりが有ったり、偶然が重なったり)泉下の熊谷さんの仕業(が有るようだ)」と有りますが、本当に単なる偶然とは思えない事があります。
ミステリーに詳しい「ある探偵小説愛好家」の方が、たまたま熊谷さんの古書店で「ぷろふいる」の最期の1冊を購入した事から始まり、その話を題見かけた芦辺拓さんが「「ぷろふいる」傑作選」の解説担当であったこと、扉野さんが「「ぷろふいる」傑作選」を読んだその日に「ぷろふいる」を購入した事がきっかけで熊谷さんに興味を持った事、愛好家の方が「sumusu」の読者でも有った事、などなど(他にも書きたい偶然が多々有り)、総ての関係者がどこかで繋がっているような状況です。
これは、熊谷さんを再評価すべきという、「泉下の力」としか思えません。
「sumus」次号で、熊谷さんのインタビューが公表されると言う事ですが、是非全文を掲載して欲しいものです。
実は、このインタビューは無理を行って利かせてもらっているのですが、ミステリー史上重大な証言が山ほどあります。
出来れば、日下さんや山前譲さんクラスの方に、解説と検証をして頂きたいくらいです。
本当はもう一度聞きなおしてから、書きたいのですが、それを待つとタイミングを失ってしまいそうなので、記憶で書きますが、ここ数日に書きこまれた疑問に答えられるような証言も有りました。
> 「夢殿殺人事件」(熊谷書房)の初版は昭和二十年二月二十日に発行されていますが、熊谷市郎さんはインタビュウのなかで
> 「そんなことはありえない」
> と答えておられるようです。
> わたしのは再版で、昭和二十一年四月十日発行
> です。再版には、たしかに、初版の日付けがそのように書かれています。
「ぷろふいる」時代の「熊谷書房」と、終戦間近、戦後の「熊谷書房」は別の会社だったようです。
「夢殿殺人事件」の熊谷書房は、出版権/紙型を売却した先のようです。
だから、その時代の事は解らない、と言う事だったと思います。
(売却先は、八千代書房??)
戦後の「ぷろふいる」には熊谷さんは関わっていない(とも取れる)発言も有りました。
「仮面」には関わっていないのは間違い無いですが、少なくとも「小説」の方に愛着があったようです。
>記憶に頼って書きますが、表紙は初版と一緒で(赤と黒で『白蟻』みたいな格子柄)、窓に女の人の半身が線描しているやつです。
>短編のうち、最後の一編が目次にはあるものの、実際は収録されていませんでした(たしか「後光殺人事件」)。
>で、版元が金鈴社だったような気がするんです。大学卒業の引っ越しの時に売り払ったのですが、当時は「不良品」だと思っていたし、最近>は「ただの紙型流用本」だとタカをくくってました。
小栗虫太郎さんについても、何度も話をされています。
小栗虫太郎さんのご子息が出版社と関わっていて、その関係で(ご子息が)本を出されている、とか。
九鬼澹さんは、一次金鈴社に居た事があり、(小栗虫太郎他の)紙型をくれてやった?、ともおっしゃっていました。
その関係で、金鈴社から小栗虫太郎の著書が出ていても、不思議はないですね。
(金鈴社から九鬼澹の著書が出ている事も、これで納得)
これはもう、インタビュー全文を掲載してもらうしかないですね。
小林文庫です。
絡んで行きたい、絡んで行ける話題が多いのに、時間が取れずに話題に参加出来ません。 (・_・、
連日残業の上、土日も出勤でした... (;_;)ウエーン
早速大勢の方が「渡辺啓助100歳記念展」に行かれたようですね。
う、羨ましい…
私も、できれば最終日(10日)には行ってみたいと、書店で見かけた『ネメクモア』の購入を見送っています。
いつまでサイン本は残っているのか..........
末永昭二 さん
> 「小音楽会」は、「『新青年』趣味」第7号の渡辺啓助特集(1999年)で翻刻していますよ。お求めになっていたのではないでしょうか。
> 啓助先生の生活の一端がわかる貴重な作品だと思います。
そ、そっ、そうでしたか (^_^;;;) 最近記憶力が…
それなりの知識を持って読まないと、見えるものも見えないと言う例ですね…
もう一度読みなおして見ます。
いま、渡辺啓助さんの著書で一番興味があるのが『悪魔の指』白夜書房( 昭和24年11月)。
先日の伊勢丹?の目録に出ていましたが、当然のように外れました。
なぜ、楠田匡介さんのところから出版されたのでしょうか?
(これも、北海道版?)
姫路小松 さん
絶対の正解なんて有る筈はないので、流れに任せてみるのも、一つの方法だと思いますよ。
ただ、「ミステリーを書きたい」と言う気持ちは、忘れないでいただきたいです。
読者としては、素晴らしい作品を書いてくださるかもしれない方が、消えてしまったら残念ですから。
社会人としての経験は作品の幅を生み出すでしょうし、飛鳥高さんや仁科透さんのようにサラリーマンとしても大成した後、また作品を発表した方もいますし。
将来、姫路小松 さんの作品を読める事を期待しています。
Y.KOJO さん
このニュースを聞いた日も、残業で午前様だったような気がするので、ニュースの詳細がわかりません。 (;^_^;)
列車でのの密輸品受け渡し、と言う点より、拳銃がロシア製や中国製の古い軍用銃だった、と言う方に興味がありますね。
影に、人生のドラマが有りそうで。
「寝台特急での密輸物品受け渡しといったトリックが描かれた推理小説」、何度も読んだ事が有るような気がしますが、具体的な作品名は思い当たりません。
すぐに出てきましたので見てみました。
昭和52年8月30日 初版第1刷発行
となっています。が、よくよく見ると、○Cは1978となっています。
購入は1979年9月なのでこちらからもはっきりしませんでした。
初版誤記で重版修正という可能性も出てきました。
以上、補足です。
教養文庫「紅毛傾城」の初版奥付は昭和52年8月30日
桃源社カバー装「黒死館」は持っていますが、残念ながら4刷りで
44年12月20日発行 50年7月5日4刷となっています。
熊谷書房「夢殿殺人事件」僕も持っていますが、やはり再版でした。
装幀は末永さんの記憶通り(凄い)ですが、目次に「後光」はありませんでした。
「ネメクモア」早速、巻末の著書リストで所持本をチエック。たったの15冊。過去の抽選がすべて当たっていたとしても、やっと20冊か(笑)。
日下さま
>『黒死館殺人事件』桃源社 1974年版 カバー装
これは私もハコ入り(1969年)しか持っていませんが、
>『紅毛傾城』社会思想社現代教養文庫 1977年8月
>教養文庫は、埋もれて出てこないっす(泣)
拙宅では全然埋もれていないのですぐわかりました。私のは初版3刷ですが、
奥付には「1978年8月30日」初版第1刷発行となっています。
1977年とはなっていないのが気になります。誤植でなければ78年
でしょうが・・・。
尚、同文庫の「黒死館」は1977年4月25日初版第1刷となって
いますね。
書き込みます。
土曜日に渡辺啓助展に行かれた方にうかがったのですが、『ネメクモア』普通版のサイン入り、在庫僅少だそうです。お目当ての方、入手できなかったらすみません。引き続き啓助先生はサインをされており、随時追加しているらしいのですが、日産数冊(?)しか署名できないということなので、供給が間に合わないかもしれないとのことでした。
お知らせまで。
Powered by T-Note Ver.3.20 |